♪ 手は語る? 4

今回の生徒さんは、SBS学苑でグループレッスンを受けていらっしゃるSさんです。

以前小田原からお出でのMさんを紹介させて頂きましたが、Sさんも遠距離ということでは負けていません。

 

なんと伊豆高原からおみえです。

 

その距離をものともせず、毎週45kmの道のりを自ら運転していらっしゃるSさんは、シニア世代とは思えないほどパワフルな方。

 

一時はSBS学苑ばかりでなく我が家にもレッスンを受けにいらしていた程です。

 

そんなSさんに癌が見つかったのは、今から4年前の5月の事でした。(ご本人の了解を得て書いています)

 

「私、癌かもしれない」とSさんから告げられたあの日、いつもお元気なSさんと癌という深刻な病名がなかなか結びつかず、それが現実のこととは俄かに信じられませんでした。

 

 

 

Sさんは乳癌でした。

 

そしてそこから、Sさんの長い闘病生活が始まりました。

 

治療は抗ガン剤投与に始まって手術、放射線治療と正に癌治療のフルコースと言えるもの。

 

そんな治療の真っ只中、それでもSさんはレッスンを受け続けていらっしゃいました。

 

ただその頃のレッスンは、体力的な理由でSBS学苑の方はお休みにし、我が家だけで行っていました。

 

抗ガン剤治療や放射線治療は、ご存知の通り身体に大きなダメージを与えます。

 

体力を奪い免疫力を落とすので、治療を受けた日から1週間位はベッドから起き上がるのも大変になります。

 

Sさんが行っていたその頃のルーティーンです。

 

*** 治療日、まずはレッスンを受けに我が家に立ち寄ります。

 

レッスン終了後、病院に赴き治療を受けます。

 

そしてそこからの1週間程はベッドで過ごし、体調が回復してきたところでピアノの練習を再開、そしてさらに1週間程経ってから又レッスンにみえる***

 

この繰り返しでした。

 

もちろん、いつも同じペースで来られた訳ではなく、レッスンが1ヵ月に1回になることもありました。

 

お出でになる時のSさんは、私に気を遣われてか、精一杯お元気そうに振る舞われていましたが、やはり具合の悪さは隠しきれないものがありました。

 

過酷な治療は、日に日にSさんから生気を奪って行くようでした。

 

そんな辛い状況にありながら、それでもSさんがレッスンを続けておられた理由、それはSさんにとって、我が家のレッスン室が社会と繋がる唯一の窓口だったところにあります。

 

治療によってすっかり免疫力の落ちてしまった身体で外出もままならず、病院以外は家で過ごすだけの生活を送っていたSさん。

 

繋がりと言うには、私とピアノだけという、余りにも頼りなげな社会との繋がりでしたが、それでもそれがSさんの闘病生活の支えとなっていたようです。

 

小さなレッスン室で行われる短いレッスンの時間が、その時のSさんにとっては、「生きる」ための大きな意味のある空間であり時間だったのだと思います。

 

そんなSさんも今ではすっかりお元気になられ、今年3月に行われる大人のための発表会「モンクール」にも参加される事になっています。

 

レッスンの意味も闘病前と同じ、楽しみながら向上するための時間となりました。

 

趣味のテニスも再開され、今では何もかもが以前と変わらないように見えます。

 

とはいえ、やはり再発の不安は少なからずおありのようですし、体力も以前と全く同じという訳にはいかないようです。

 

それでも、だからこそ今という時間を精一杯充実させているSさん。

 

そう言えば、いつの間にか身体から無駄な力が抜けて、ピアノの音色も美しく輝き始めているようです。

 

Sさん、モンクールでは是非「輝く真珠の如き音色」を聴かせて下さいね!