(猛暑でも果敢に咲くカラミンサ)
いきなりですが、もしもあなたのお子さんが飽きっぽい性格で、一つの事をなかなか続けられなかったりしたら、どう思いますか?
その事を(この子の個性だからそれで良し!)と、何の抵抗もなく思えますか?
では、これを自分に置き換えてみたらどうでしょう
飽きっぽくて継続力に欠ける自分
継続は力なり、と言うし・・・
そんなところは直さなきゃダメよね、なんて考えてしまうのではないでしょうか
「飽きっぽい」や「続かない」は、一般的にはネガティヴワードとして使われる事が多い言葉
だからそんな風に考えてしまうんだと思います
ところが、「イヤイヤそうではない」
飽きっぽくて良い コツコツ継続出来なくて良い、というより、コツコツ継続するようではダメ、という考え方があります
このネガティヴワード全肯定の考え方
実はそれは、私の学ぶ九星氣学の中にある概念です
私自身これを知った時、正に目から鱗となりました
氣学では、生まれ年によって人を大まかに9つのタイプに分けて判断します
もちろん厳密には、もっと複雑な見方をするのですが、まぁ大雑把に九つの星に分類するんです
よく学年によってカラーが違ったりしますよね?
あんな感じと思っていて下さい
でも、これが案外的確だなぁと、氣学を知れば知るほど思う場面が増えました
先ほどの例で言うと、三碧木星という星の人は、飽きっぽく継続力に欠けると言われています
その分フットワークが軽く、好奇心旺盛で恐れ知らずに突き進むことができます
これと真逆なのが二黒土星です
これは私の星なのですが、二黒土星はコツコツ努力型、物事に対し慎重で石橋を叩いて渡るところがあります
人をサポートしたり育てたりするのが上手い星とも言われています
三碧と二黒、それぞれ外向きと内向きと正反対の星ですが、どちらが良くてどちらがダメということはありません
それよりも、自分の星の持ち味を出して生きていないことの方を問題視するのが氣学なんです
継続することが苦手でも、協調性に欠けていても、三碧木星ならそれで良し!なんです(因みに、二黒では良しにはなりません)
何故なら、その星らしさを生きる時、人は自分を受け入れ愛している状態だからです
氣学においては、幸せに生きるための、これが絶対条件となります
私はこの概念を知った時、生徒さん一人一人を見る目が変わりました
私たちは、長年学校教育の場で、自分の欠けを補って、ひたすら丸になることを求められてきました
これは、出来るだけ社会に役立つ人間を育てようと言う考え方
優秀な労働者を育成するための概念から生まれたものです
けれど、本来私たちが幸せに生きるためには、その欠けを補ってはいけないのです
欠けは、人間同士で補い合えば良いのですから
九星氣学を学んで良かったなぁと思うことは、吉方取りを知ったことと、人の向こうに星を見られるようになったことです
星を見ることで、相手を理解し受容する器が以前より大きくなったように思えるからです
人は、自分と違うタイプの人の言動を、なかなか理解出来ない時があります
そんな時、(なるほどなぁ、この人はこの星なんだ じゃあ仕方ないか)ってなるんです
ただし、10歳以下のお子さんは、まだ本命星の特徴が出ないので、また別の見方をしなければいけません
思春期を迎える頃に、ホルモンバランスの変化のせいで、ガラッと性格が変わる人がいますよね
つまり、その辺りの年頃から本来のその人らしさが形成され始めるので、氣学の上でも、それ以前と以後では見方が変わる訳です
けれど、そんな事が分からなくても、お子さんに対して、(この子ってどうしてこうなの?)とお悩みの方は、(そういう星だから仕方ない)と思えると良いんじゃないかと思うんです
如何ともし難いことは、受け入れるほかありませんものね
もちろん、それは自分自身に対してもです
それは、欠けた自分を丸ごと受け止めて、幸せに生きていきましょう!ということ?
いいえ、違います
そもそも私たちに欠けたところなんてありませんでした
私たちは、ありのまま、そのまんまでマルだった
その事を、氣学は教えてくれたんです
以上!
お読みいただき、ありがとうございました